4匹の子ぶた

ADD・ADHDの息子たちとの奮闘日記

次男ADD初診

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次男のるぅくの初診。
診察室に通されると一応そこは5年生・・・「お願いします・・・」とあまり口を開けないモゴモゴとした感じではあるけれど挨拶。
Dr.の質問に答える感じでるぅくとDr.が話しをしている。
学校ではどんなことが好きなのか、得意な科目、苦手な科目、学校で困ってること。
家ではどんなことをして過ごすのか、兄弟とはどんなことをして遊ぶのか、家で困ってることは?
本人が自分で申告した困っていること。

・すぐに忘れてしまう。
手に持っていた物も気づかないうちにどこかへ置いてしまったりして、失くしてしまう。

・2つも3つも同時に言われると訳が分からなくなる。
ひとつの事が終わらないうちに次の事を言われたり、2つの事を一度に言われたりすると全部が分からなくなる。

・時間が守れない。
まだ時間があるなと思っているといつの間にか時間が過ぎて、ギリギリになったり遅刻してしまう。

・バスケをしていてコーチに怒られた時、一生懸命聞いてると返事が出来なくてまた怒られる。
一生懸命聞いて理解しようとすると、返事が出来てなくて、そうすると今度は返事が出来ていないことで怒られる。
でも、返事をしようと思っていると、何を言われたのかよく分からないまま話が終わってしまって、また同じことをして怒られる。

そのあと、Dr.と私の質疑応答
るぅくはとにかく物を失くす、忘れる・・・。
今の家に引っ越してきてからの4年で鍵を6,7個は失くしている。
さんざん探したけれど見つからなかった数が6,7個、失くしたけれど見つかった数も数えるとかなりの数になる。
その度に鍵の持ち方を工夫する。
最初はキーホルダーを付けた鍵をランドセルのチャックの付いたポケットに入れておいて、使ったらそこへ戻すようにしたが、使った後どこへ置いたのか忘れたり、遊びに行くときにズボンのポケットへ入れて落としたり・・・。
キーホルダーではダメだってことで、今度はネックトラップをつけて首から下げたが、ネックストラップが壊れたり、そもそも首に掛けなかったりでこの方法は断念。
次はビヨーンと伸びるコイル状のキーホルダーを付けてランドセルの横のフックにぶら下げた。
本人曰く、走って帰ってきたら無くなっていたそうで、また失くしたので、今度はそれをランドセルのポケットのチャック部分に取り付けて、鍵を開けたらポケットの中へしまうようにした。
それでも失くした。
それでなぜ何故失くなるのか不思議だけれど、でも失くして帰って来る。
どこで失くしたのか、どうやって持って行ったのか、例えばランドセルから外して、ズボンのベルト通しに付けたとか、上着のポケットに入れていたとか・・・ここまでは記憶があるんだけど・・・というのがない。
持ち出したことは覚えていても、どうやって持っていたのか忘れていたりする。
試行錯誤、散々あれこれ試して、悩んだ結果、また初心に返り首からぶら下げることにした。
今度はちょっと丈夫なアウトドアメーカーの物を購入。
何があっても外してはいけない、とにかくお風呂に入るまでは外さない約束。
なぜ、お風呂に入るまでかと言うと、どこで外したのか記憶がなくなってしまうるぅくは例え家の中で外したと思っていても、家の中でなかったり、家の中に入ったら所定の位置に戻そうと思ってマンションの入り口で鍵を開けたらそのまま首から外してしまいどこへ置いたのかわからなくなったり、玄関前でボールを片付ける時にボールと一緒に片付けたり・・・それをすると必ずと言っていいほど失くす。
お風呂なら確実に家の中&洗面所だから探すときはまず脱いだ服の山を見ればいい。
お風呂に入る前しか外してはいけない、そんな約束をしたのに失くして帰ってきた。
友達と公園で鬼ごっこをしている時に鍵がブラブラと揺れて身体にあたり痛かったから外してベンチに置いた。
でも、その公園がどこだったのか記憶が定かではない、公園は3ヶ所行ったからそのうちのどれかだと言う。
行ったはずの3ヶ所の公園がどこだったのかそれすらはっきりせず、結局見つからなかった。
失くして帰ってくるのは鍵だけではない、手に持って歩いたものはほぼ失くして帰ってくる。
DSを失くしたのも1度や2度ではない。
とにかく、物は失くすためにあるのではないかと思うほど失くす。

そして、片付けができない。
どの引き出しを開けても必ず入っているものがある。
汚れた靴下、鼻をかんだティッシュ、お菓子のゴミ。
何度注意しようと、何度一緒に片付けようと1週間もしないうちに元通り。
部屋のすべての物を出して、整理してもダメ。
親が物の位置を決めるから片付けにくいのかも?と思い、るぅく自身にどこに何を入れるのか決めさせて、すべての引き出しにラベルを貼ってみたが、それも1週間と持たなかった。
今度は細かくものの位置を決めずに大雑把なくくりにしてみた、例えば「文房具」「外で使うおもちゃ」「家の中で使うおもちゃ」「学校で使う物」「大切なもの」・・・、とにかく学校で使うものはその引き出しに入れる、外で使うおもちゃはその引き出しに・・・。
でも、それもダメ。
今度は逆に細かく、細かく、すべての物の位置をラベリングした「文房具」ではなくて「えんぴつ」「色鉛筆」「けしごむ」「サインペン」といった具合に。
それでも、やっぱりどの引き出しを開けても「汚れた靴下・鼻をかんだティッシュ・お菓子のゴミ」が入っているし、どの引き出しを開けても、ありとあらゆるジャンルのものが入っている。

困っている事と言えばこの2つくらいかな・・・、学校では指摘されたこともないし、問題を起こしたこともない。
友達と小さな喧嘩はあっても、大きな喧嘩はないし、手を出してしまったりすることもない。

Dr.はすぐに「注意欠陥障害ですね・・・」と。
「これは困ったなと思うことがあっても、その度にあれこれ考えられて、あの手この手で手を打ってきたのでなんとか乗り越えてきたんでしょう・・・。正直ここまであの手この手であれこれ対策を練られてきたお母さんは初めて見ました。普通はここまであの手この手で対策する前にお手上げ状態になるんですけどね」と笑っていた。
「今はこういういいお薬があります。少し検査は必要になりますが、ストラテラというお薬を試してみましょう。」と最初の診察ですぐに投薬の話が出た。

ショックを受ける暇もなく投薬の話。
正直それが良かったのか悪かったのかは分からないが、すぐに投薬に取りかかれたのは良かったのかもしれない。

本人に告知するのかどうか、悩むこともなくすぐに告知した。
るぅくは難病もあり、特定疾患もあるが、すべて本人に告知している。
それはやっぱり、どの病気もずーっと付き合っていかなければならないものだし、何よりるぅく自身がそれに対処していかなくてはならないのだから・・・。
いずれ、機会があれば、どのように告知して、るぅくの反応がどうだったのか・・・?それも書いておきたいと思っています。

WISC結果

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ちゃみぃのWISC診断結果を告げられた時、本当にショックで目の前が真っ暗と言うか、真っ白と言うか・・・
そのくらいショック。

うちには4人の子がいて、特定疾患や難病を抱えた子もいるけれど、ADDやADHDの診断、難病や特定疾患の診断、どの診断を聞かされた時よりも、一番ショックだったのがこのWISCの結果だった。
受け入れるのに2日くらい掛かった。
難病も命に関わるものではなかったせいか、ショックを受けることはなく、すんなり受け入れられていたから自分でも意外だったけど・・・。

ワーキングメモリーが非常に低く、数の概念の苦手さから就学後に学習面で苦労する。
知識は他の結果と比べると明らかに低い結果になっており、"年齢"や"犬の足の数"など数に関する問題、"曜日"や"季節"といった時間概念に関する問題で誤答がみられる・・・とのこと。
知覚推理は平均から上であり、目からの情報は取り込みもよく得意。

"かず"も"ひらがな"もなかなか覚えられず、"ひらがな"は未だに全部覚えられておらず、やっと名前が読み書き出来るようになった程度。

それでも4月からは小学生。
固定級も考えなければいけないかもしれないと随分悩んだけど、何度も校長先生と面談し、教育センターにも面談へ行き、夫婦で何度も話し合いを重ねた結果、通常級に行くことに・・・。

校長先生は耳が聞こえていなかった時期を考えると、曜日や季節の概念が多少育ちが遅くても、それほど問題ではないのではないか、ブロックや指を使うことで足し算引き算が出来るようなので、その点に関してもWISCの結果だけが全てではないように思うとの事。

ちゃみぃは目で見た"かず"を発音するのが苦手。
ブロックや指があれば、足し算引き算は出来ますが、その答えを言ってみてと言うと困ってしまいます。
目で見た"かず"が5なのか、3なのかわからなくなってしまう。
その点に関しても校長先生は耳の聞こえない子は目で見た数だけで算数をするので、それと同じように、目で見た数で確認しながら進めれば問題ない、学習能力や知識を得ようとする学習意欲に関しては高いものを持っているように感じるので通常級でまずは頑張ってみましょうとのこと。
どこかの大学の児童心理や福祉を学ぶ学生さんたちが学校ボランティアやヘルパーとして小学校へ来ているので、その方達にサポートしてもらいながらまずはやってみようと言っていただきました。

校長先生の言葉に感謝しつつ、家庭でも精一杯のサポートをしながらの学校生活を・・・とは思うけど、不安がないわけでもない。
と言うか、不安だらけ。
それでも、まずは通常級で頑張ってみて、それでも、更にサポートが必要ならその時に考えようと現時点ではそんな感じです。

初診

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三男・ちゃみぃの最初の診察。

Dr.に促されるまま診察室の椅子に座ってみるが、回る椅子だと気付くと座面に腹ばいになる形で乗りかかり、くるくる回る。
回りながらDr.にあれこれ聞かれ、一応答えている。

Dr.は私に「お母さんはちゃみぃくんのどの辺が困っていますか?」と聞く・・。
私は返答に困ってしまった。
私にとっては、椅子い腹ばいになってクルクル回っているこの子が日常。
どんなに手がかかろと、どんなに煩かろうともこの子は私の可愛いちゃみぃ・・・。
この子が基準なので、何に困るってこともない。
返答に困っている私を見てDr.は「例えば、この子を一人で外へ遊びに行かせられますか?一人でお使いに行かせられますか?一人で通学はどうでしょう?」
この言葉に私は頭を殴られたような衝撃を受ける。
もうすぐ1年生、上の子たちがいるとは言え、親から離れて自分で歩いて学校へ行かなければいけない。
行きは上の二人と一緒でも、帰りは一人で帰って来なくちゃいけない。
「そりゃ、無理だよね・・・」
「そういう事なんですよ」と優しく微笑むDr.に何故だか全てを悟られたような、すべてを丸っと理解してもらえたような・・・なんとも言えない気持ちになり、大粒の涙が溢れた。
"大変"なんて思ってなかったし、ましてや"辛い"なんてこれっぽっちも思っていなかったのに何故か大粒の涙が・・・。

そんなこんなでまずはWISCを受けることに…。

苦痛

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日本の小学校はそろそろ卒業式。
次男の小学校でも卒業式へ向けての練習が大詰めを迎えている。
次男はADD、多動性はないとの診断だけれど、3時間じっとしていることが苦痛で仕方ないらしい。
そりゃ、誰でも自分の名前が呼ばれるわけでもなく、ただじっと座って待っているのが楽しい訳はないけども。

学校から帰ってきた次男は卒業式でじっとしていることが、どれほど苦痛で、どれほど大変なことなのかを力説し始めた。
「立っていいのはリコーダーを吹くときだけだよ、それも5分だよ。5分と言ったら300秒だよ!3時間もかかるのにたったの300秒だよっ!足も動かしちゃいけないんだよ。伸ばすのもダメなんだよ!途中からもう発狂しそうだよ!暴れたくなるよ?叫びたくなるよ?動いていいのが300秒で、しかも自由には動けないんだよ?ちゃんと立ってフラフラせずにリコーダー吹いて、またすぐ座るんだよ?もう俺ホントに卒業式出たくない!! 出たくないって言うか、絶対無理な気がしてきた・・・」って捲し立てた。
本当に動いていいのがそれだけな訳はないけども。

多動性はなくとも、やっぱりじっとしていなきゃ行けないことがかなり苦痛な様子。
自分の時はどうだっただろうか?と思い返してみた。
じっとしているのが苦手だったかもしれないけど、私はそんな時はいつも自分の世界に浸っていた。
空想・妄想・・・とにかく頭の中は自分だけの世界だった気がする。
話は全く聞いてなくて頭の中ではあれこれと妄想・空想してたけど、結果的に座っていることは出来ていたし、さほど苦痛も感じていなかった。
だって、頭の中では自分が主人公の物語が繰り広げられているのだ。
誰にも邪魔されず、3時間も物思いに耽るなんてそうそう出来ることじゃないから、逆に楽しんでいたかもしれない。

だからと言って、次男にそれを進めるのもどうなのか???
親としてはやっぱり多少気がひけるので、進めてはないけども・・・。

次男よ、退屈なあまり、椅子をカタカタと揺らしたり、微妙なバランスで椅子を傾けて座ることに夢中になって、微妙なバランスを追求するあまり、椅子から転げ落ちるとか、椅子ごとひっくり返るとか・・・それだけはやめてね。
頼むわ・・・。

私は自分もADDの特性を持っているし、良く分からないんだけれど、所謂"普通の子"は小学校5年生ともなれば3時間じっと座っていることは、退屈ではあるけれども然程の苦痛もなく出来るものなのだろうか・・・?
「ぐぅわぁぁぁぁぁ〜ん!」とか「ぐぎゃぁぁあぁぁ〜!」とかそんな雄叫びを上げたくなる衝動に駆られたり、手足をバタバタと動かして、駄々っ子のように地団駄を踏みたくなったりすることはないのだろうか・・・?

気づき・・・

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子供がADDやADHDかもしれないと思ったことはなかった。 きっかけは三男・ちゃみぃさんが通う保育園で「ちゃまくん、なかなか"かず"が覚えられなくて・・・」と言われたことだった。 ちょっと心配だから今度保育園に来る児童心理士に相談してみようとなった。

話は前後するが、ちゃみぃさんは難聴だった。 なかなか言葉を話さないちゃみぃさんだったが、私たちにとっては4人目、可愛いかわいい末っ子だったのでいつまでもbabyな感覚でいて違和感が全くなかった。 話さないことをなんとも思っていなかった。 保育園で指摘されるまでは・・・。

保育園ではちゃみぃさんがなかなか言葉が出ないことを気にかけていて、職員全員で情報を共有し、数ヶ月間観察してくれていた。 その結果、やはり聞こえに問題があるのでは?との結論に至り、保育園の看護師より話があった。

大学病院へ連れて行くとやはり難聴であった。

正確には滲出性中耳炎。 検査をすると鼓膜の中、鼓膜の後ろの空洞の中、その空洞を取り囲む骨にもたくさんの大きな空洞のがありその中にも滲出液が溜まっていた。 Dr.の説明によると、音は届いてはいるが言葉としては届いていないとの事。 骨の中の空洞にもしっかりと滲出液が溜まっていることから相当な期間難聴状態であると説明された。 言葉の遅れもそのせいだった。

2度の手術をし、難聴状態は解消された。 少しづつ言葉を覚え、おしゃべりができるようになった。 ただ、発音はかなりおかしかった。 言語聴覚士による訓練にも通い、知能の遅れがないか定期的にリハビリのDr.の診察も受けていた。 4歳の時に受けた田中ビネー式の結果はIQ108 知能の遅れはないとされていた。

そして先に書いた、保育園から"かず"が覚えられないとの指摘。 専門の病院を紹介され、まずはDr.の診察を受ける必要があるのかどうか、振るいにかけるための聞き取り調査。 少し話しただけで、医師の診察を受ける前提で話が進んでいった。 「あぁ、ちゃみぃさんはやっぱりなんか持ってるんだな」と思った。 その聞き取り調査で兄弟との関わりを聞かれ、あれこれ話しているうちに「あれ?お兄ちゃん・・・?」と言われる。 聞くと「お母さんが心配なら診察を受けてみるのもいいですね。私の方から診察を進めるようなことは言えないんですよ」と言われて「こりゃ、るぅくもなんか持ってるんだな」と思い、二人分の診察予約をした。 聞き取り調査の予約に3ヶ月待ち、Dr.の診察まではさらに3ヶ月待ち。

時間はかかるにせよ、とにかく診察をしてもらえるとの事で一安心。 診察までの3ヶ月、少しでも"かず"を覚えられるように、保育園は今まで以上に遊びや生活の中に"かず"を取り入れてくれていたし、家でも食事の時に人数分の取り皿を一緒に数えたり、おやつを分ける時に一緒に数えたりしながら"かず"を意識した生活を心がけた。

診察までの3ヶ月はあっと言う間に過ぎていった。

長くなるので、初めての診察についてはまた後日・・・。

自己紹介

今日からBlogを書くことにしました・・・。

簡単に我が家のご紹介。

夫、私、社会人1年生の長男・・・。

次男・小5、まもなく6年生になるADD。

長女・小4、まもなく5年生、口うるさく、男勝り。

三男・年長、もうすぐピカピカの1年生になるADHD

長男は手のかからないいい子。 次男が生まれてから、子育ってってこんなに大変なものだったの???と毎日がぐったり。

そして、診断は受けていないものの、自分もADDの自覚あり。

ネットで「大人のADHD」とか診断チェックリストを見ると間違いなく!と太鼓判を押したくなるほど当てはまる、そんな私。

Blogを書こうと思ったきっかけは、子供たちが診断を受けてから、なんとも言いようのない苦労を感じるようになり、 気持ちを文字にして整理してみようと思ったから・・・。

今までは、なんでうちの子ってこうなの??と思うことは多々あれど、どこの家庭も同じようにそれぞれ苦労があるだろうと思っていたし 「この親にしてこの子あり」な部分が少なからずあり、自分によく似ている次男を見ると「だって私の子だもんね」と妙に納得していた私。

それなのに、診断を受けてからの方が苦労を感じる。 なんでだろう・・・。 その答えはまだ見つかっていないけれども、少しづつ文字にすることで、自分の気持ちを整理して、 自分のダメなところも自覚して、少しづついい方向に進めたらいいかなと思うし、 いい方向に進めなくても、ドツボにハマらなければいいやというか、抜け出せない負のループにハマらなければいいかなと思っている。

・・・という事で、いつか誰かの目に止まり、「あぁ、同じように試行錯誤してる人がいるんだなぁ」とか 「こんなヒドイ人のいるのね・・・。うちはまだマシだわ・・・」とか思って少し気が楽になってくれる人がいたら それはそれで誰かの役に立てるかなぁと思って書いていこうと思う。